ICUで5日間意識を失い、入院45日間を経て家に帰った。
体重は17kg落ちていた。顔もげっそりしていたはずだ。歩き方もぎこちなかった。そんな父親が帰ってきた時、子どもたちはどんな反応をしたか。
正直に書く。
少し戸惑っていた。でも、すぐにいつも通りになった
退院の日、両親の車で家に帰った。玄関を開けると、子どもたちがいた。
少し戸惑っているように見えた。45日ぶりに帰ってきたパパは、明らかに細くなっていた。顔つきも変わっていた。それが子どもたちには不思議に映ったと思う。
でも、それは一瞬だった。
すぐにいつも通りになった。騒ぐ。ふざける。「パパ、これ見て」と話しかけてくる。45日間のブランクが、なかったかのように。
子どもの世界は狭い。「今、パパがいる」という事実が全てだ。45日間パパがいなかった記憶より、今日パパが帰ってきたという現実の方が大きい。
子どもが小さかったから、よかったのかもしれない
入院中、子どもたちは面会に来られなかった。コロナ禍で面会禁止だったし、ICUに子どもを連れてくることもできない。
45日間、子どもたちは父親の姿を見ていない。LINE電話で声だけは聞いていたが、映像はなかった。意識がない期間はそれもできなかった。
それだけの期間が空いても、子どもたちはさほど引きずっていなかった。むしろ、親の方が「45日間のブランクで子どもとの関係が変わってしまったのではないか」と心配していた。
その心配は、杞憂だった。
子どもが小さかったからこそ、過去よりも今に生きている。それが救いだったと思う。もし子どもたちが10代だったら、もっと複雑な感情があったかもしれない。当時の年齢だったからこそ、帰宅初日から普通の日常に戻れた。
妻にとっては、全く違う45日間だった
子どもたちが「あまり引きずらなかった」のと対照的に、妻にとっては別の話だ。
お腹に4人目を抱えたまま、夏休みの3人をワンオペで見ながら、夫がICUで意識不明という現実を一人で抱えていた。
病院に行けない。夫に電話もできない。毎日「今日も変わりありません」という言葉を待っていた。
後から妻に聞いた。「大変だったから、逆に気がまぎれた」と言っていた。子どもたちのことで手がいっぱいで、考えすぎる時間がなかったのかもしれない。でも夜、子どもたちが寝静まった後は一人だった。臨月の体で、何を考えていたか。私には想像するしかできない。
子どもたちが普通に接してくれたことは、妻にとっても助けになっていたと思う。子どもたちが不安定になっていたら、妻の負担はさらに増えていた。
退院後に起きたこと
私が退院してまもなく、今度は妻が切迫早産で入院した。なお退院後の休職については別の記事に詳しく書いた。
私はまだ体が回復途中だった。でも、子ども3人を一人で見ることにした。妻の両親が手伝いに来てくれると言ってくれたが、週に1日だけ自分の両親に頼み、あとは自分でやった。
その期間、子どもたちにできることが増えた。洗濯物をたたむ。食器を片付ける。お風呂の順番を自分で決める。
親が動けない時に、子どもは育つ。これはあの期間に実感したことだ。
ICUから帰ってきた父親を、子どもたちは特別扱いしなかった。それが正直、一番嬉しかった。「大丈夫だよ」と普通に接してくれる子どもたちの存在が、回復の力になった。
退院後の日常:子どもたちの「普通」の意味
退院して最初の数日、私は家の中でぼーっとしていることが多かった。体力は戻っておらず、少し動くだけで息が上がった。
そんな中、子どもたちは普通だった。「パパ帰ってきた!」という最初の興奮が落ち着くと、次の日からはいつも通りだった。テレビを見て、兄弟でけんかをして、「ご飯まだ?」と聞いてくる。
最初は拍子抜けした。でもこれが子どもたちにとっての「安心の表現」だと気づいた。緊張が解けたから「普通」に戻れた。むしろ、ぎこちなく接してくる方が、子どもたちの心に不安が残っているサインだったのかもしれない。
回復期間の4ヶ月:子どもたちと過ごした時間
退院してから復職まで約4ヶ月の回復期間があった。この時期、私はほぼ自宅にいた。体を動かせない時間が長かった分、子どもたちの「毎日」を間近で見ることができた。
長男の算数の宿題を一緒に解いた。次男の話す言葉が急に増えたことに気づいた。長女が幼稚園で覚えてきた歌を得意そうに披露してくれた。三男が初めてハイハイから歩き始めた瞬間を見た。
コロナになる前の自分なら、これらのほとんどを見逃していた。「忙しいから」「疲れているから」という理由で、子どもたちの毎日は妻が一手に引き受けていた。4ヶ月の回復期間は、ある意味で「子どもたちの成長を取り戻す時間」だった。
「強くなった」と感じた子どもたちの変化
退院から1年が経った頃、長男に変化を感じた。何か困ったことがあっても、すぐに「どうしよう」とパニックにならなくなった。自分で少し考えて、動いてみてから「これでいい?」と聞いてくる。
本人に「どうして落ち着いていられるの?」と聞いたことがある。長男は「だって、パパがICUから帰ってきたじゃん」と言った。
父親がICUに入って、45日後に帰ってきた。その体験が長男の中に「最悪の状況も越えられる」という感覚として残っているのかもしれない。親として意図していたわけではないが、あの経験が子どもの心に何かを刻んだとしたら、それは大切なものだと思う。
妻のワンオペが子どもたちを育てた
私がICUにいた45日間、妻は長男・次男・長女の3人をワンオペで見ながら、お腹の三男のことも気にかけながら、毎日病院に状況確認の電話をかけていた。
子どもたちが「普通」でいられたのは、妻が「普通」を維持し続けたからだ。子どもへの「パパは病気」の伝え方については別記事に書いている。不安を子どもに見せず、日常のルーティンを崩さず、食事を作り続けた。その45日間が、子どもたちの「安心感の土台」をつくったと思っている。
退院後に妻から聞いた話がある。「子どもたちが心配しすぎないように、普通にしてた。でも毎晩、子どもたちが寝てから泣いてた」と。私が知らなかった45日間を、妻と子どもたちはそうやって生き抜いていた。
ICU体験が家族にもたらしたもの
コロナICUの体験は、私個人だけでなく家族全体に影響を与えた体験だった。子どもたちにとっては「パパが死にかけた記憶」であり、同時に「パパが帰ってきた記憶」でもある。
その記憶が子どもたちの心の中でどんな意味を持つかは、これから先も変わっていくだろう。長男が今理解できることと、20歳になった時に理解できることは違う。成長とともに、あの経験の意味が更新されていくと思っている。
父親として一つだけ確かなことがある。「パパは一度死にかけたけど、帰ってきた」という事実が、子どもたちにとって「命は大切にするもの」という感覚の具体的な根拠になっているとしたら、あの経験はただの不幸ではなかった、ということだ。
「ありがとう」を言える家族に
退院してしばらく経ったある日の夕食後、長男が急に「パパ、元気になってよかった」と言った。照れくさそうに、でもちゃんとした言葉で。
それまで我が家は「ありがとう」をあまり言わない家族だった。家族間では当たり前のことに、わざわざ感謝を言葉にしない。そういう雰囲気があった。コロナ後、それが変わった。食事を作ってくれた妻に「ありがとう」と言うようになった。子どもたちも少しずつ真似し始めた。
「ありがとう」を言える家族になったのは、あの45日があったからだと思っている。「当たり前」だと思っていたことが、当たり前ではないと体で知ったからだ。
子どもたちへのメッセージ
この記事を書いている今、子どもたちはそれぞれ少しずつ大きくなっている。コロナICUの記憶を鮮明に持っているのは長男だけかもしれない。下の子たちはそのうち「パパが入院してたことがあった」という話として聞くだろう。
いつかこの記事を子どもたちが読む日が来るかもしれない。その時のために書いておきたい。
ICUのベッドの上で、私は家族のことを考えていた。子どもたちの顔を、一人ひとり思い浮かべた。その顔があったから、もう少し頑張れた。あなたたちが「普通に」生活を続けてくれたことが、私にとって一番の支えだった。
帰ってこれてよかった。4人の子どもたちの成長を、これからもそばで見ていたい。
「普通に接してもらえること」の価値
ICUから帰って最初の数週間、周囲の大人から「大丈夫?」「無理しないで」という言葉をたくさんもらった。それは有難かったが、同時に自分が「病み上がりの人」として扱われているというプレッシャーにもなった。
そんな中、子どもたちの「普通」は心地よかった。「パパ、一緒にゲームしようよ」「ご飯まだ?」「宿題教えて」。病気の前と変わらないやりとりが、自分を「元の自分」に引き戻してくれる感覚があった。
大人は病気の人に対して「特別扱い」をしがちだ。でも当事者にとって、「特別扱いしない普通の関係」が回復の力になることがある。子どもたちが意識してやっていたわけではないが、あの「普通の接し方」は私の回復を助けてくれた。
「パパが死ぬかと思った」を超えて、日常を取り戻すまで
退院後の回復は、思ったより時間がかかった。ICUで45日間、体を動かさずにいると筋力が落ちる。最初は自宅の階段を上がるだけで息が切れた。走るどころか、速歩きすら難しかった。
子どもたちはそんな私の姿を見ていた。「パパ、なんでそんなにゆっくり歩いてるの」と長女に聞かれた時、「体がまだ練習中なんだ」と答えた。長女は「そっか、じゃあパパ頑張ってね」と言って走っていった。その言葉が、その日一番の励みになった。
回復に約4ヶ月かかった。その間、少しずつ近所を歩き、徐々に距離を伸ばし、最終的には復職前に30分歩けるようになった。「普通に歩けること」がどれだけありがたいかを、この時ほど感じたことはない。
後遺症との向き合い方
コロナICUを経験した人の多くが後遺症を訴えている。私の場合、退院後しばらく「息切れ」と「疲れやすさ」が続いた。階段を上がっただけで心拍数が上がり、午後になると体が重くなる日があった。
医師からは「肺の機能が戻るのに時間がかかる」と説明された。PCR陰性になっても、肺の炎症痕は残る。焦らずゆっくり回復することが最善という判断だった。
子どもたちの前では後遺症の辛さを出さないようにしていた。「パパ大丈夫?」と毎日心配させるより、「今日も少し歩けた」という前向きな話をする方がいいと判断した。子どもは親の表情から安心感を得る。だから回復中も「大丈夫な顔」を意識した。
現在、後遺症はほぼ解消されている。体力も戻り、仕事に復帰して1年以上が経つ。「完全に元に戻った」かどうかは正直わからないが、日常生活で不自由を感じることはなくなった。
ICUから帰ってきた父親を、子どもたちは最初から「普通に」扱ってくれた。それが私の回復を助けた。病気の親を持つ子どもへのアドバイスとして一つ言えるとしたら、「特別扱いしすぎないこと」だ。心配は当然だが、その心配を全面に出すと、子どもかお見舞いをしている感覚になる。日常のやりとりを続けることが、親にとっても子どもにとっても一番の回復剤だった。
この体験記が、大病を経験した家庭や、親の病気を子育て中に経験した方への何らかの参考になれば嬉しい。
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