コロナ退院後の生活|話すだけで息切れ、普通の生活に戻れない50代の記録

退院後に待っていた「普通の生活」の壁|話すだけで息切れ、ご飯を食べるだけで動けない 健康と働き方

退院した。家に帰った。やっと「普通の生活」が戻ってくる。そう思っていた。

だが、「普通」は戻ってこなかった。

45日間のICU・入院生活を経て帰宅。体重17kg減。筋肉が落ちて寝返りも打てなかった体は、リハビリでなんとか歩けるようになった。退院できた。でも、「退院=回復」ではなかった。

話すだけで息切れ|1時間動けなくなる

退院直後、一番最初につまずいたのは「話すこと」だった。

家族と会話する。ただそれだけで息が切れる。声を出すことに腹筋を使う。息を吸って、声を出して、また吸って。健康な時は無意識にやっていた呼吸のサイクルが、意識しないとできなくなっていた。5分話すと、胸が苦しくなる。10分話すと、横にならないと持たない。話した後は1時間以上動けなくなった。

入院中は看護師との短い会話くらいしかしていなかった。家に帰って、子どもたち4人が一斉に話しかけてくる。嬉しい。でも体が追いつかない。「ちょっと待って」と言うのが精一杯だった。

ご飯を食べるだけで動けなくなる

食事も壁だった。

ご飯を食べるだけで疲れる。噛む、飲み込む、消化する。これだけで体力を消耗する。食後は必ず横になった。30分〜1時間は動けない。消化にエネルギーを使うと、それ以外のことができなくなる。食後に子どもたちが「パパ遊ぼう」と言ってきても、「ちょっと待ってね」と横になるしかなかった。そのうち子どもたちも「パパはご飯の後は寝るもの」と理解してくれた。ありがたくも、切ない理解だった。

入院中の病院食は少量ずつ、栄養バランスが管理されていた。家に帰ると、普通の量の食事が出てくる。それが体にとっては「普通じゃない量」だった。少しずつ、体を慣らしていくしかなかった。

後に糖尿病を発症し、食事管理を始めることになるが、この時はまだそこまで頭が回っていなかった。「食べられるだけでありがたい」。それだけだった。

階段が壁|自分の家なのに登れない

建売住宅に住んでいる。2階建て。入院前は何も考えずに階段を上り下りしていた。

退院後、階段が壁になった。1段上がるごとに息が切れる。手すりにつかまりながら、一歩ずつ。2階に上がるだけで、太ももが震えた。

しばらくは1階だけで生活した。寝るのも1階。着替えも1階に持ってきた。自分の家なのに、2階に行けない。その事実が情けなかった。子どもたちは2階を走り回っている。その足音が1階に響く。元気な足音が、自分の体の不自由さを際立たせた。

入院前は子どもを肩車して2階まで駆け上がっていた。今は手すりなしでは上がれない。同じ階段。同じ家。でも、以前の自分と今の自分は別人だった。

入浴という重労働

入浴も「普通」ではなくなった。

服を脱ぐ。体を洗う。湯船に浸かる。体を拭く。服を着る。一つひとつの動作に体力を使う。入浴後はぐったりして、30分以上ソファに倒れ込んだ。

湯船に浸かること自体がリスクだった。血圧の変動で立ちくらみが起きる。一人で入浴するのが怖かった。最初の頃は妻に声をかけてから入るようにしていた。「お風呂入るね」「出たよ」。万が一倒れた時に気づいてもらうために。

日常の動作すべてが「壁」だった

話す、食べる、階段を上る、風呂に入る。日常のささいな動作の一つひとつが壁になった。

そしてこれらの動作をするたびに、慢性疲労症候群の症状が出た。倦怠感が襲い、思考力が落ち、記憶力が消える。翌日になると前日の記憶が曖昧になっていることもあった。

「普通の生活」のハードルがこんなに高いとは知らなかった。

退院直後、リハビリで「入院前よりいい体で退院しましょう」と言ってくれた理学療法士の言葉を思い出した。入院中はその言葉に励まされた。でも家に帰ると、「いい体」どころか「普通の体」にすら程遠い現実があった。

一番もどかしかったのは、「見た目は普通」なことだ。退院して数週間もすれば、外見上は普通の人に見える。でも中身は全然普通じゃない。スーパーに買い物に行って、30分歩いただけで帰宅後に2時間寝込む。友人に「もう大丈夫なの?」と聞かれて「うん、大丈夫」と答える。嘘だ。でも毎回説明するのも疲れる。

休職1年間で学んだのは、この「普通じゃない自分」を受け入れることだった。以前の普通に戻ろうとするから苦しくなる。新しい普通を作る。それが回復の本質だった。健康な時には意識すらしなかった動作の一つひとつに、エネルギーが必要だったのだ。

「普通に戻れた」瞬間はあったか

正直に言うと、以前の「普通」には戻れていない。

徐々に、本当に徐々に、できることは増えてきている。階段を普通に上れるようになった。食事で動けなくなることは減った。入浴も一人でできる。

でも、年を重ねるにつれて「できないこと」が増える方が多い気がする。回復のスピードより、加齢のスピードの方が速い。以前と同じには戻れないと認めている。

「強いパパ」には戻れない。でも「いるパパ」ではいられる。以前の自分に戻ることを目標にするのではなく、今の自分にできることを最大化する。それが、退院後に学んだ一番大事なことだ。

退院後の生活で助けになったもの

退院後の生活を支えてくれたものがいくつかある。

  • 妻の「普通」の接し方——過剰に心配せず、いい距離感でそばにいてくれた
  • リモートワーク——出社せずに働ける環境があった
  • AI——記憶力・思考力の低下をカバーしてくれた
  • 持ち家——自分のペースで生活を組み立てられる空間があった

一人では乗り越えられなかった。退院直後は特にそうだった。

妻が食事を用意してくれた。子どもたちが靴を揃えてくれた。両親が掃除に来てくれた。小さなサポートの一つひとつが、「普通の生活の壁」を少しずつ低くしてくれた。

特に妻の存在は大きかった。心配を顔に出さずに、いつも通り接してくれた。「大丈夫?」と聞かれるより、普通に「今日の夕ご飯何がいい?」と聞かれる方がありがたかった。その「普通」が、自分にとっての回復のペースメーカーになった。

退院後の生活で一番大事なのは、「助けて」と言えることだと思う。自分は言えなかった。「強いパパ」でいたかったから。でも、助けを求めることは弱さではない。家族はチームだ。チームとして機能するためには、困った時に声を上げることが必要だ。家族、会社、テクノロジー。周囲のサポートがあったから、今こうして生活できている。

退院後の「壁」と向き合っている方へ

大きな病気やケガの後、退院して「普通の生活」に戻ろうとしている方へ。

焦らないでほしい。自分は焦った。「早く元に戻らなきゃ」と。その焦りが、復職を急ぎすぎて再休職する結果につながった。体が出す「まだ早い」のサインを無視した。もっと自分の体の声を聞くべきだった。「普通」は一日では戻らない。一か月でも戻らないかもしれない。一年かかるかもしれない。永遠に戻らないかもしれない。

でも、「新しい普通」は作れる。以前とは違う普通。できることが少ない普通。でも、それが自分の普通になる。その普通を受け入れた時、少しだけ楽になれる。

退院から何年も経った今でも、「壁」は形を変えて現れる。季節の変わり目に体調が崩れる。気圧の変化で一日中横になる。風邪を引くと普通の人の3倍回復に時間がかかる。

でも「壁」の乗り越え方は上手くなった。無理をしない。休む。助けを求める。AIに仕事を任せて休む時間を作る。一つひとつの壁は低くなっていないが、壁との付き合い方がわかってきた。それが「回復」の本当の意味かもしれない。

退院後の生活は、マラソンに似ている。ゴールが見えない。ペースがわからない。でも、止まらなければ前に進んでいる。歩いてもいい。休んでもいい。でも、リタイアだけはしない。

退院した日、両親の車で家に帰った時、窓の外を流れる景色を見て「普通の世界」がまぶしく見えた。あの時の自分に伝えたい。「普通に戻れなくてもいい。新しい普通を作ればいい。時間はかかるけど、大丈夫。家族がいるから。」

自分はまだ受け入れきれていない部分もある。でも、少しずつ折り合いをつけている。それでいいと思っている。

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