退院した。家に帰った。やっと「普通の生活」が戻ってくる。そう思っていた。
だが、「普通」は戻ってこなかった。
45日間のICU・入院生活を経て帰宅。体重17kg減。筋肉が落ちて寝返りも打てなかった体は、リハビリでなんとか歩けるようになった。退院できた。でも、「退院=回復」ではなかった。
話すだけで息切れ|1時間動けなくなる
退院直後、一番最初につまずいたのは「話すこと」だった。
家族と会話する。ただそれだけで息が切れる。声を出すことに腹筋を使う。息を吸って、声を出して、また吸って。健康な時は無意識にやっていた呼吸のサイクルが、意識しないとできなくなっていた。5分話すと、胸が苦しくなる。10分話すと、横にならないと持たない。話した後は1時間以上動けなくなった。
入院中は看護師との短い会話くらいしかしていなかった。家に帰って、子どもたち4人が一斉に話しかけてくる。嬉しい。でも体が追いつかない。「ちょっと待って」と言うのが精一杯だった。
ご飯を食べるだけで動けなくなる
食事も壁だった。
ご飯を食べるだけで疲れる。噛む、飲み込む、消化する。これだけで体力を消耗する。食後は必ず横になった。30分〜1時間は動けない。消化にエネルギーを使うと、それ以外のことができなくなる。食後に子どもたちが「パパ遊ぼう」と言ってきても、「ちょっと待ってね」と横になるしかなかった。そのうち子どもたちも「パパはご飯の後は寝るもの」と理解してくれた。ありがたくも、切ない理解だった。
入院中の病院食は少量ずつ、栄養バランスが管理されていた。家に帰ると、普通の量の食事が出てくる。それが体にとっては「普通じゃない量」だった。少しずつ、体を慣らしていくしかなかった。
後に糖尿病を発症し、食事管理を始めることになるが、この時はまだそこまで頭が回っていなかった。「食べられるだけでありがたい」。それだけだった。
階段が壁|自分の家なのに登れない
建売住宅に住んでいる。2階建て。入院前は何も考えずに階段を上り下りしていた。
退院後、階段が壁になった。1段上がるごとに息が切れる。手すりにつかまりながら、一歩ずつ。2階に上がるだけで、太ももが震えた。
しばらくは1階だけで生活した。寝るのも1階。着替えも1階に持ってきた。自分の家なのに、2階に行けない。その事実が情けなかった。子どもたちは2階を走り回っている。その足音が1階に響く。元気な足音が、自分の体の不自由さを際立たせた。
入院前は子どもを肩車して2階まで駆け上がっていた。今は手すりなしでは上がれない。同じ階段。同じ家。でも、以前の自分と今の自分は別人だった。
入浴という重労働
入浴も「普通」ではなくなった。
服を脱ぐ。体を洗う。湯船に浸かる。体を拭く。服を着る。一つひとつの動作に体力を使う。入浴後はぐったりして、30分以上ソファに倒れ込んだ。
湯船に浸かること自体がリスクだった。血圧の変動で立ちくらみが起きる。一人で入浴するのが怖かった。最初の頃は妻に声をかけてから入るようにしていた。「お風呂入るね」「出たよ」。万が一倒れた時に気づいてもらうために。
日常の動作すべてが「壁」だった
話す、食べる、階段を上る、風呂に入る。日常のささいな動作の一つひとつが壁になった。
そしてこれらの動作をするたびに、慢性疲労症候群の症状が出た。倦怠感が襲い、思考力が落ち、記憶力が消える。翌日になると前日の記憶が曖昧になっていることもあった。
「普通の生活」のハードルがこんなに高いとは知らなかった。
退院直後、リハビリで「入院前よりいい体で退院しましょう」と言ってくれた理学療法士の言葉を思い出した。入院中はその言葉に励まされた。でも家に帰ると、「いい体」どころか「普通の体」にすら程遠い現実があった。
一番もどかしかったのは、「見た目は普通」なことだ。退院して数週間もすれば、外見上は普通の人に見える。でも中身は全然普通じゃない。スーパーに買い物に行って、30分歩いただけで帰宅後に2時間寝込む。友人に「もう大丈夫なの?」と聞かれて「うん、大丈夫」と答える。嘘だ。でも毎回説明するのも疲れる。
休職1年間で学んだのは、この「普通じゃない自分」を受け入れることだった。以前の普通に戻ろうとするから苦しくなる。新しい普通を作る。それが回復の本質だった。健康な時には意識すらしなかった動作の一つひとつに、エネルギーが必要だったのだ。
「普通に戻れた」瞬間はあったか
正直に言うと、以前の「普通」には戻れていない。
徐々に、本当に徐々に、できることは増えてきている。階段を普通に上れるようになった。食事で動けなくなることは減った。入浴も一人でできる。
でも、年を重ねるにつれて「できないこと」が増える方が多い気がする。回復のスピードより、加齢のスピードの方が速い。以前と同じには戻れないと認めている。
「強いパパ」には戻れない。でも「いるパパ」ではいられる。以前の自分に戻ることを目標にするのではなく、今の自分にできることを最大化する。それが、退院後に学んだ一番大事なことだ。
退院後の生活で助けになったもの
退院後の生活を支えてくれたものがいくつかある。
- 妻の「普通」の接し方——過剰に心配せず、いい距離感でそばにいてくれた
- リモートワーク——出社せずに働ける環境があった
- AI——記憶力・思考力の低下をカバーしてくれた
- 持ち家——自分のペースで生活を組み立てられる空間があった
一人では乗り越えられなかった。退院直後は特にそうだった。
妻が食事を用意してくれた。子どもたちが靴を揃えてくれた。両親が掃除に来てくれた。小さなサポートの一つひとつが、「普通の生活の壁」を少しずつ低くしてくれた。
特に妻の存在は大きかった。心配を顔に出さずに、いつも通り接してくれた。「大丈夫?」と聞かれるより、普通に「今日の夕ご飯何がいい?」と聞かれる方がありがたかった。その「普通」が、自分にとっての回復のペースメーカーになった。
退院後の生活で一番大事なのは、「助けて」と言えることだと思う。自分は言えなかった。「強いパパ」でいたかったから。でも、助けを求めることは弱さではない。家族はチームだ。チームとして機能するためには、困った時に声を上げることが必要だ。家族、会社、テクノロジー。周囲のサポートがあったから、今こうして生活できている。
退院後の「壁」と向き合っている方へ
大きな病気やケガの後、退院して「普通の生活」に戻ろうとしている方へ。
焦らないでほしい。自分は焦った。「早く元に戻らなきゃ」と。その焦りが、復職を急ぎすぎて再休職する結果につながった。体が出す「まだ早い」のサインを無視した。もっと自分の体の声を聞くべきだった。「普通」は一日では戻らない。一か月でも戻らないかもしれない。一年かかるかもしれない。永遠に戻らないかもしれない。
でも、「新しい普通」は作れる。以前とは違う普通。できることが少ない普通。でも、それが自分の普通になる。その普通を受け入れた時、少しだけ楽になれる。
退院から何年も経った今でも、「壁」は形を変えて現れる。季節の変わり目に体調が崩れる。気圧の変化で一日中横になる。風邪を引くと普通の人の3倍回復に時間がかかる。
でも「壁」の乗り越え方は上手くなった。無理をしない。休む。助けを求める。AIに仕事を任せて休む時間を作る。一つひとつの壁は低くなっていないが、壁との付き合い方がわかってきた。それが「回復」の本当の意味かもしれない。
退院後の生活は、マラソンに似ている。ゴールが見えない。ペースがわからない。でも、止まらなければ前に進んでいる。歩いてもいい。休んでもいい。でも、リタイアだけはしない。
退院した日、両親の車で家に帰った時、窓の外を流れる景色を見て「普通の世界」がまぶしく見えた。あの時の自分に伝えたい。「普通に戻れなくてもいい。新しい普通を作ればいい。時間はかかるけど、大丈夫。家族がいるから。」
自分はまだ受け入れきれていない部分もある。でも、少しずつ折り合いをつけている。それでいいと思っている。
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この記事はコロナ後遺症による退院後の生活に関する個人の体験記録です。
退院後の生活を立て直す中で、家計の見直しにも着手しました。実際の内容はこちらに書いています。 50代で家計を本気で見直した記録

