コロナ後遺症で復職→再休職した体験談|15分しかもたない体で働くということ

コロナ後遺症で復職したが半年で再休職した話|15分しかもたない体で働くということ 健康と働き方

復職初日、15分しかもたなかった。

コロナでICUに入り、45日間の入院を経て、半年間の休職。ようやく復職した日。リモートでPCに向かったが、15分で限界が来た。5分休憩して、また15分。その繰り返し。

思いのほか、できなかった。

復職初日|15分しかもたない体

復職前夜、眠れなかった。「明日からまた働く」という事実が重かった。半年間、仕事から離れていた。その間に会社は動き続けている。自分がいなくても回っていた。その事実が、復職への不安をさらに大きくしていた。

久しぶりの業務だった。リモートとはいえ、画面を見て、メールを読み、考えて、返信する。以前なら何も考えずにできたことが、体力を奪っていく。

15分作業して、5分休む。それを繰り返して、午前中が終わった。午後はほとんど横になっていた。「復職」と呼べるレベルではなかった。

自分にできるのか。不安しかなかった。半年休んで、体力が戻っていると思っていた。だが、現実は違った。休んでいる間に回復したのではなく、休んでいるから持っていただけだった。

初めての出社|行くだけで疲れる

復職から数日後、初めて出社した。

通勤するだけで疲れた。電車に乗り、駅から歩き、オフィスに着く。それだけで体力の大半を使い果たした。席について仕事を始める頃には、もう集中力が残っていない。

週1回の出社を試みたが、出社した日の疲労はその後数日間尾を引いた。月曜に出社すると、火曜・水曜はほぼ使いものにならない。木曜にようやく戻り始め、金曜に少し仕事ができる。そしてまた月曜に出社して振り出しに戻る。

このサイクルでは、まともな業務量をこなせるはずがなかった。

出社した日、同僚たちが普通に働いている姿を見た。電話をかけ、会議に出て、資料を作り、チャットでやりとりする。かつての自分もそうだった。今はそれを見ているだけで疲れる。自分だけが別の時間軸で動いているような感覚だった。

帰りの電車では立っているのがやっとだった。座席に座ると、そのまま寝落ちしそうになる。家に着いてドアを開けると、そのまま倒れ込むように横になった。子どもたちが「おかえり」と言ってくれたが、返事をする余裕もなかった。

コロナ後遺症の倦怠感|見えない障害

コロナ後遺症の倦怠感は、外からは見えない。

見た目は普通だ。歩けるし、話せる。だから周囲には「元気そう」に見える。「よくなった?」と聞かれて「だいぶ良くなりました」と答える。でも本当は、全盛期の6割の体力で、疲れると3割まで落ちる

見えない障害だからこそ、つらい。「怠けている」と思われているのではないか。「大げさなのではないか」と思われているのではないか。そんな不安が常にあった。

メモを取っても、そのメモをどこに置いたかわからなくなる。口頭の指示を覚えられない。記憶力と思考力の低下は、仕事の質に直結する。以前の自分のパフォーマンスを知っている同僚たちの前で、今の自分を見せるのがつらかった。「あの人、前はもっとできたのに」。そう思われているのではないか。被害妄想かもしれない。でも、その思いが仕事中ずっと頭から離れなかった。

3か月間の葛藤|体調と業務の板挟み

3か月ほど、リモートメインで業務を続けた。

だが、業務をこなすことよりも、自分の体調と向き合うことに体力を割かれていた。仕事をするために体調を管理するのか、体調を管理するために仕事をセーブするのか。どちらが優先なのかわからなくなっていた。

周囲は優しかった。「無理しないでね」「できる範囲でいいよ」と言ってくれた。その言葉はありがたかった。でも同時に、自分が「配慮される側」になったことを突きつけられた。以前は配慮する側だった。チームを引っ張る側だった。その立場が逆転している。

会議に出るだけで疲れる。資料を作る集中力が続かない。チャットの返信を考えるだけで頭がいっぱいになる。以前なら30分でできた作業に半日かかる。

周囲は配慮してくれていた。だからこそ、罪悪感が積み重なっていった

人事との面談|「休んだほうがいい」

人事と面談をした。

自分の状態を正直に話した。体調のこと、業務のパフォーマンスのこと、周囲への申し訳なさ。全部話した。

人事から言われた。「休んだほうがいい」と。

覚悟はしていた。でも、実際に言われると堪えた。自分では「まだやれる」と思いたかった。せっかく復職したのに、また休むのか。また周囲に迷惑をかけるのか。妻にどう説明するのか。子どもたちにどう見えるのか。

でも、体は正直だった。朝起きた時点で疲れている日がある。PCを開く気力がない日がある。シャワーを浴びるだけで休憩が必要な日がある。これは「頑張り」でどうにかなるレベルではなかった。でも、客観的に見れば明らかだった。このまま続けても、自分も会社も消耗するだけだ。

再休職。今度は1年間。傷病手当金を受け取りながらの生活が始まった。

傷病手当金はありがたい制度だった。だが、期間には限りがある。「これで戻れなかったら退職になる」。その不安が、休んでいるはずの時間を休ませてくれなかった。体を休めているのに、頭は休めない。矛盾だった。傷病手当金を受け取りながらの生活が始まった

再休職中の日々|回復しているのかわからない

2回目の休職は、1回目とは気持ちが違った。

1回目は「休めば回復する」と信じていた。2回目は「本当に回復するのか」がわからなかった。

妻には正直に伝えた。「また休職することになった」と。妻は「そうだね、仕方ないね」と言った。責めなかった。いつも通り、心配を顔に出さなかった

良い日と悪い日の波がある。良い日は家事もできるし、少し外出もできる。悪い日はベッドから出るのがやっと。この波が不規則で、先が読めない。

回復しているのか、停滞しているのか、悪化しているのか。自分でも判断がつかなかった。

病院に通い続けた。主治医に「焦らないでください」と言われるたびに、焦りが増す。周囲は働いている。自分だけが止まっている。社会から取り残されていく感覚。

家にいるのに、何もできない日々。家事をしようとしても、少しやっては1時間休む繰り返し。「働いていないのに疲れている」という矛盾に、自分でも嫌気がさした。

AIが救いになった

休職中に始めたことがある。ChatGPTでの食事管理と、Claude Codeでのサイト作りだ。

体が動かなくても、頭が少しでも動けば何かができる。AIが記憶力や思考力の低下をカバーしてくれた。15分しか集中できなくても、AIとの対話なら成果物が残る。自分の体験を話すだけで、AIが記事の形にしてくれる。完璧な文章ではないが、「今日もひとつ形にできた」という実感が得られる。

休職中に書き始めた記事が、今このサイトの土台になっている。あの時間は無駄ではなかった。休んでいたのではなく、次の一歩を準備していたのだと、今は思えている。

「自分にもまだできることがある」。その感覚が、休職中の精神的な支えになった。

休職中は社会とのつながりが薄くなる。会社に行かない。同僚と話さない。ニュースを見ても、自分とは関係ない世界のように感じる。その孤立感が、回復を遅らせていた部分もあったと思う。

ブログを書くことで、社会とつながっている感覚を取り戻せた。読者がいるかどうかはわからない。でも、インターネットの向こう側に誰かがいる。自分の経験を必要としている人がいるかもしれない。その可能性が、孤立感を和らげてくれた。

復職を経験して思うこと

コロナ後遺症での復職を経験して、「働く」ということの意味が変わった。以前は「成果を出すこと」が働くことだと思っていた。今は「続けること」が働くことだと思っている。100%のパフォーマンスは出せない。でも、20%でも30%でも、続けていれば積み上がるものがある。

復職は「戻ること」ではなかった。

以前の自分に戻ることは、もうできない。戻ろうとするから苦しくなる。新しい自分の「できること」を見つけ直す作業。それが復職の本質だったと、今は思っている。

今の自分にできることは限られている。でも、ゼロではない。食事管理で糖尿病を改善できた。このサイトを立ち上げられた。子どもたちのご飯を作れている。15分しかもたない体でも、15分の積み重ねで形にできるものがある。

同じようにコロナ後遺症で復職に苦しんでいる方がいたら、伝えたい。無理に「前の自分」に戻ろうとしなくていい。15分しかもたないなら、15分でできることを探せばいい。その積み重ねが、新しい働き方になる。

私は今、リモート中心で仕事を続けている。完全に元に戻ったわけではない。たぶん、もう戻らない。でも、「戻らなくてもやっていける方法」を見つけた。AIという味方もできた。55歳独立に向けたストック型収入の準備も始めた。

復職と再休職を繰り返した経験は、一見すると失敗の連続だ。でも、その中で自分の限界を知り、新しい可能性を見つけた。回り道は、無駄ではなかった。

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この記事はコロナ後遺症と復職に関する個人の体験記録です。

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