妻が心配を顔に出さなかった話|大黒柱は2本ある

妻が心配を顔に出さなかった話|大黒柱は2本ある 子育てと家族

妻は心配を顔に出さない人だ。

私が独立を決めた時も、コロナでICUに入った時も、復職して再休職した時も。どれだけ大変な状況でも、妻は顔に出さなかった。

それを知ったのは、ずっと後のことだった。

独立を決めた日|妻の本当の気持ち

保険代理店を辞めて、アフィリエイトで独立すると決めた日。

3人目の子どもが生まれた頃。土日も仕事の生活に限界を感じていた。会社に相談しても冷たい返事。副業のアフィリエイトが軌道に乗り始めていた。「これを本業にする」と決めた。

妻に伝えた時、妻は「そうなんだ」と言った。反対も賛成もしなかった。いつも通りの顔だった。

後になって聞いた。「本当は心配で仕方なかった」と。でも、顔に出さない努力をしていたと。

夜、子どもたちが寝た後に一人で泣いていたこともあったらしい。収入がなくなる不安。夫の体調の心配。子ども3人を一人で見なければならないプレッシャー。全部抱えていた。でも、朝になると何事もなかったように笑顔で朝食を作っていた。

その強さに気づけなかった自分が情けなかった。自分は自分のことで精一杯で、妻が何を抱えているか、考える余裕がなかった。

結婚してからずっと、妻は自分の辛さを言葉にしない人だった。「大丈夫」と言う。「平気」と言う。でもそれは、本当に大丈夫なのではなく、「大丈夫でいようとしている」だけだった。その違いに気づくまで、10年かかった。自分のことで精一杯で、妻の内面を見ようとしていなかった。

子ども3人を抱えて、夫が会社を辞める。安定した収入がなくなる。不安でないはずがない。妻自身も働いていたが、家計の柱は自分の収入だった。それがなくなる。

でも妻は、一言も「やめておけ」とは言わなかった。「もう決めたんでしょ」と言って、家計のやりくりを黙って始めた。スーパーのチラシを比べるようになった。外食の頻度が自然と減った。何も言わずに、支出を調整していた。でも、妻は黙って支えることを選んだ。

コロナICUの時|4人目を身ごもりながら

コロナでICUに入った時、妻は4人目を身ごもっていた。

夫がICUで人工呼吸器をつけられている。医師から「だめかもしれない」と言われている。面会もできない。子ども3人のワンオペ。そして妊娠中。

どれだけ怖かったか。どれだけ不安だったか。想像するだけで胸が痛い。

後から聞いた話では、毎日子どもたちに「パパは元気だよ」と伝えていたらしい。実際には医師から「だめかもしれない」と言われていたのに。子どもたちを不安にさせないために、妻は嘘をつき続けていた。その嘘をつくことが、どれだけ辛かったか。毎晩子どもたちを寝かしつけた後、一人でスマホを見て病院からの連絡を待っていたらしい。面会もできない。電話もまともにできない。ただ待つしかない。その孤独は、ICUにいた私の孤独とは別の形の孤独だった。

でも、退院後に妻の表情を見ても、泣き崩れたりはしなかった。「おかえり」と言って、いつも通りに接してくれた。子どもたちの前で取り乱すことはなかった。

もともと売れっ子の営業マンだった妻。人前で感情をコントロールする力がある人だ。さすがだなと思った。でも反面、無理はしないでほしいとも思った。妻も人間だ。いつまでも強くいられるわけがない。顔に出さないからといって、不安がないわけではない。

ICUにいた時、妻は毎日LINEをくれていた。「今日も子どもたちは元気だよ」「ゆっくり治して」。短い言葉だったが、その裏にどれだけの不安があったか。退院後にLINEの履歴を読み返して、涙が出た。

退院後、妻が切迫早産で入院した

私が退院してすぐ、妻が切迫早産で入院した。

私の入院中、ずっとワンオペで子ども3人を見ていた体への負担。顔に出さなかった心配と不安。それが体に出た。

妻が倒れでもしたら、一家はおしまいだ。そう痛感した。我が家の精神的支柱は、大黒柱は2本ある。私だけではない。妻がいなければ、この家族は成り立たない。

妻が切迫早産で入院している間、自分が子ども3人のワンオペをやった。体はまだ回復途中だったが、あえてワンオペを選んだ。妻がどれだけ大変だったかを、身をもって知りたかった。結果、妻の偉大さを思い知った。3人でこれだけ大変なのに、妻は4人目を身ごもりながらやっていたのだ。

鈍感力と気づかい|結婚10年で見えてきた妻の本質

妻にはある意味で鈍感力がある。細かいことを気にしない。些細なことで動揺しない。大きな問題が起きても、パニックにならない。

でも、それは「気づいていない」のではなく、「気づいた上で動じない」のだとわかったのは、結婚して10年くらい経ってからだった。

人一倍気づかいのできる人だった。自分が落ち込んでいる時、それを察して、でも過剰に心配するのではなく、いい距離感でそばにいてくれる。「大丈夫?」と何度も聞くのではなく、普通に接してくれる。それがどれだけ支えになったか。

特に自分が落ちている時。復職して再休職した時も、メンタルを崩して通院を始めた時も、妻は変わらなかった。いつも通りの距離感で、いつも通りの日常を作ってくれた。

ある日、仕事でミスをして落ち込んで帰ってきた時。妻は「今日の晩ごはん何がいい?」と聞いてきた。それだけだった。でも、その「いつも通り」に救われた。特別な言葉はいらなかった。日常があること自体が、支えだった。妻も大変なことがあるはずなのに、こちらを優先してくれている。だからこそ、自分もそばで一生支えたいと思った。

収入激減の時も|200万円を黙って出してくれた

アフィリエイト収入がゼロになった時、足りない分の200万円を妻が出してくれた。

責めなかった。「なんで独立なんかしたの」とは言わなかった。「あの時止めておけばよかった」とも言わなかった。

あとから考えると、妻には言いたいことが山ほどあったはずだ。「独立に反対すればよかった」「もっと早く転職すればよかった」。でも一言も言わなかった。過去を責めても何も解決しないとわかっていたからだと思う。妻の方がよほど大人だった。「大変だよね」と言って、お金を出してくれた。

あの時、妻がどれだけ不安だったか。自分の貯金を切り崩して夫に渡す。しかも返ってくる保証はない。それでも顔に出さなかった。

妻への感謝と決意

妻が心配を顔に出さなかったのは、強さだと思う。でも同時に、無理をしていたのだとも思う。

これからは、妻に無理をさせない生き方をしたい。55歳で独立を考えているのも、家族と過ごす時間を増やしたいからだ。妻の負担を減らしたいからだ。

家計の見える化を始めたのも、妻に「大丈夫だよ」と数字で見せたかったから。漠然とした不安を、妻に抱えさせたくなかった。

妻は心配を顔に出さない。だから、こちらから聞きにいく。「大丈夫?」と聞くのではなく、不安の元を減らす行動で返す。それが、今の自分にできる恩返しだと思っている。

具体的にやっていることがある。家計を見える化して共有すること。子どもたちのご飯を作ること。週末の買い物を引き受けること。体調が良い日は掃除をすること。どれも小さなことだ。でも、妻の負担を1つでも減らせれば、それが恩返しになる。

子ども4人の父親として、そして妻の夫として。両方の役割を果たしていきたい。完璧にはできない。でも、やろうとする姿勢は見せ続けたい。

最近、妻に「いつもありがとう」と言う回数が増えた。以前は照れくさくて言えなかった。でも、ICUで死にかけてから、言えるうちに言っておこうと思うようになった。明日言えるとは限らない。「ありがとう」も「ごめんね」も、言えるうちに言う。それがコロナICUが教えてくれたことだ。

妻が心配を顔に出さないなら、自分は感謝を行動で出す。言葉だけではなく、行動で。それが、20年近く一緒にいて、ようやくたどり着いた夫婦の形だと思っている。

同じような立場の方に伝えたい。パートナーが「大丈夫」と言っている時、本当に大丈夫かどうか、よく見てほしい。顔に出さない人ほど、内側に溜め込んでいる。「大丈夫?」と聞くだけではなく、相手の負担を減らす具体的な行動で返してほしい。

大黒柱は2本あった方がいい。どちらかが倒れても、もう一方が支える。我が家はそうやって、何度も危機を乗り越えてきた。

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