「強いパパ」でいられなくなった日|コロナ後遺症と家族の記録

「強いパパ」でいられなくなった日|コロナ後遺症と家族の記録 子育てと家族

子ども2人を両腕にぶら下げて、3人目を肩車する。

それが、かつての私だった。

運動神経には自信があった。筋肉質で、体力には自信があった。子どもたちにとって、パパは「強い人」だった。少なくとも、自分ではそう思っていた。

コロナでICUに入り、45日間の入院を経て、その「強いパパ」はいなくなった。ICUでの体験は「コロナICUで死にかけた話」に書いた。

コロナ退院後|鏡に映った別人の体

退院して家に帰り、久しぶりに鏡の前に立った。

別人だった。

腕の筋肉がなくなっていた。ふくらはぎも細くなっていた。一番ショックだったのはお尻の筋肉が落ちて、ぺちゃんこになっていたこと。体重は17kg減。筋肉質だった体の面影はなかった。

入院前の自分を思い出した。野球やバレーをやっていた頃、筋トレが日課だった頃。腕に力を入れれば筋肉が盛り上がった。走れば誰よりも速かった。子どもたちを軽々と持ち上げて、公園で走り回っていた。

その面影が、鏡の中にはなかった。骨と皮だけの腕。たるんだお腹。別人というより、自分の父親を見ているような気がした。

これが今の自分か、と思った。

抱っこを断る父親|子どもに「疲れてるから」と言うしかない

子どもたちは、入院前と変わらず接してくれた。

「パパ抱っこして」「おんぶして」

以前なら当たり前にできたことだ。2人同時にぶら下げても平気だった。

でも、もうできない。

断るしかなかった。理由をうまく説明できない。「パパ今ちょっと疲れてるから」と言うしかない。子どもたちは「わかった」と言って離れていく。

その背中を見るたびに、申し訳ない気持ちになった。

コロナ後遺症|話すだけで息が切れる体

体力の低下は想像以上だった。

少し話をするだけで息が切れる。少し歩くと、その後数時間は寝込んでしまう。

入院前は野球やバレーをやっていた体だ。それが、会話すら満足にできなくなった。

回復するだろうと思っていた。時間が経てば戻るだろうと。

だが、戻らなかった。

コロナ後の復職|「よくなった?」に答えられない

半年の休職を経て、リモートで復職した。

周囲は気を遣ってくれた。「体の調子はどう?よくなった?」と聞いてくれる。

正直に答えるのが難しかった。

調子がいい日でも、全盛期の6割くらいしか戻っていない。疲れると一気に3割くらいまで落ちる。それが「よくなった?」に対する本当の答えだった。

でも、そんなことを毎回説明するわけにもいかない。「だいぶ良くなりました」と返すしかなかった。

後遺症による記憶力・思考力の低下

後遺症の影響は体力だけではなかった。

記憶力が落ちた。思考力も落ちた。

口頭で言われたことを覚えられない。聞いた瞬間は理解しているのに、数分後には抜けている。メモを取るようにした。ボイスレコーダーも使い始めた。

それでも、そのメモをどこに置いたかわからなくなることがある。録音したことを忘れていることもある。

以前の自分なら考えられないことだった。

会社への罪悪感|頑張りすぎた結果の再休職

有給を多く使った。出勤の日にリモートに変えてもらうことも増えた。

特別扱いしてもらっていることはわかっていた。周囲が配慮してくれていることも。

だからこそ、罪悪感があった。

「迷惑をかけている」という思いが、毎日少しずつ積み重なっていく。感謝と罪悪感が同時にある。どちらも本当の気持ちだから、どちらかを消すこともできない。

調子のいい時は週2で出社もできた。「戻れるかもしれない」と思った時期もあった。

でも今振り返ると、あれは無意識に周囲の期待に応えようとして頑張りすぎていただけだった。

数か月で体が限界を迎え、再び休職。今度は1年間。

休職中の1日|少しやっては1時間休む

休職中の1日は、あっという間に過ぎた。

何もしていないわけではない。家事をできるだけしようとした。洗い物をする。洗濯物をたたむ。少しでも妻の負担を減らしたかった。

だが、少しやっては1時間休み、また少しやっては1時間休む。その繰り返しだった。気づけば夕方になっている。何かを成し遂げた感覚はない。ただ時間が過ぎただけ。

以前なら1時間でできたことに、1日かかる。それが休職中の現実だった。

子どもたちに病気を伝えた日

子どもたちには、正直に伝えた。

どんな病気で、どんな治療をして、今どういう状態なのか。入院中の写真も見せながら、細かく説明した。

隠すこともできた。でも、隠しても子どもたちは気づく。パパが前と違うことは、一緒に暮らしていればわかる。

だから、嘘はつかなかった。「パパは今、体が前みたいに動かないんだ」と。子どもたちは黙って聞いていた。全部わかったかはわからない。でも、伝えたことに後悔はない。

傷病手当金が切れる恐怖|戻れなかったら退職

1年間の休職中、傷病手当金を受け取っていた。

ありがたい制度だった。でも、期間には限りがある。使い切れば収入がなくなる。

「これで戻れなかったら、退職になる」

その不安が、休んでいるはずの時間を休ませてくれなかった。

傷病手当金の期間を使い切り、復職した。会社にリモート中心での業務を了承してもらい、なんとか仕事を続けている。

それでも期待に応えようとしてメンタルを崩した

復職できた。リモートで働かせてもらえている。感謝している。

だからこそ、「期待に応えないと」と思ってしまう。

配慮してもらっている分、成果を出さないと。迷惑をかけている分、取り返さないと。

頭ではわかっている。無理をすればまた壊れると。でも、体が動く日があると、つい詰め込んでしまう。

結果、メンタルを崩した。今も通院している。体調管理の一環で始めた糖尿病の食事管理については、別の記事に詳しく書いている。

弱い自分を受け入れるということ

正直に言うと、まだ完全には受け入れられていない。

以前の自分を知っているから。何でもできた自分を知っているから。その落差が、時々どうしようもなく重くなる。

ただ、割り切らないとやっていけないということは学んだ。「仕方ない」と思うことは、諦めではなく、生き延びるための判断だと思っている。

全部を受け入れる必要はない。でも、壊れないようにするために、ある程度は手放す。そうやって自分を保っている。

コロナ後遺症を支えた妻の距離感

この時期、妻は過剰に気を遣うことをしなかった。

腫れ物に触るような扱いもしなかった。かといって突き放すわけでもない。いい距離感でいてくれた。

それが、一番嬉しかった。

「大丈夫?」と何度も聞かれるより、普通に接してもらえることの方がありがたかった。

朝、いつも通り「今日のご飯どうする?」と聞いてくる。テレビを見ながら、いつも通り笑っている。体調が悪くて何もできない日も、責めるでもなく、心配しすぎるでもなく、ただそこにいてくれた。

その「普通」が、どれだけ難しいことか。妻なりに考えて、意識して「普通」でいてくれていたのだと思う。弱くなった自分を、特別視せずにそばにいてくれること。それが、どれだけ支えになったかわからない。

「強いパパ」から「いるパパ」へ

今も慢性疲労症候群のような症状は残っている。体力は全盛期には戻らない。たぶん、もう戻らない。

それでも、子どもたちのご飯を作ることはできる。一緒にテレビを見ることはできる。話を聞くことはできる。

抱っこはできなくなった。でも、父親としてできることはまだある。

「強いパパ」ではなくなった。でも、「いるパパ」ではいられる。

今はそれで十分だと思っている。

▼ あわせて読みたい

この記事は、コロナ後遺症と向き合う中で感じたことの記録です。同じように体や心の変化に戸惑っている方に、「あなただけじゃない」と伝えたくて書きました。

「強いパパ」ではいられなくなったからこそ、体が動かなくても収入が止まらない仕組みを目指すようになりました。 ストック型収入の作り方

コメント

タイトルとURLをコピーしました